電車内で化粧をする女性を目にすることがありますが、これについてみなさんはどう思われていたのでしょう?
東急電鉄が「わたしの東急線通学日記」と題する啓発ポスターを掲示。その第2弾で
「車内化粧編」
を掲示したところ論議が巻き起こったそうです。
「電車内の化粧のどこがマナー違反かよくわからない」
「女性への抑圧」
ってことなんだそうですが・・・。
電車内で化粧はマナー違反か
電車内で化粧をする女性っていったいどれくらいいるんでしょう?都会住まいの方は頻繁に見かける光景なのでしょうね。だから鉄道会社が啓発に乗り出すことになっているのでしょう。
首都圏の女性1500人に対して調査した結果では
- 電車内で化粧をしたことがある:19%
- 電車内で化粧をしたことがない:81%
で、全体の2割が”経験者”でした。ですが、年代に絞ってみると
- 30代以下で20%以上が経験者
- 20代後半では40%以上
(データ出典:NEVERまとめ)
となり、若くなるほどに電車内で化粧をする傾向にあるようです。
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なぜ化粧をするのか
マナー云々以前に
なぜ化粧をするのか?
について考えてみたいと思います。
化粧をしようがしまいが、私個人にとっては何の影響もないですし、スッピンで勝負できるならそれが一番だと思います。
ネットでいろいろと調べてみると
- 身だしなみだから
- 変身できる
- スッピンは恥ずかしい
などの意見が多く見受けられました。電車内で化粧をする女性は通勤途中であると思いますので、ビジネス面から言っても
化粧は身だしなみとして必須
であると言う現代の慣習に従っていると言えるでしょう。そんな意味でも
化粧=身だしなみである
と言うのが世の中の考え方なんだろうと思います。
身だしなみは家で行うものではないか
そうなると、やはり当たり前の話に帰結してしまうのですが
身だしなみと言うのは家で整えるものではないか
と言うことになります。寝起きのボサボサ頭で電車に乗ってきて頭を直すことは普通はしないでしょうし、もしそうした人がいたら
この人みっともないわね!ギリギリまで寝てて何も準備できなかったのね!
と思うことでしょう。
一方、化粧はどうか?
電車内で化粧をする方々の言い分もたくさんネットに意見として載っていました。その中には
- 会社から遠くて朝早く夜遅いから時間がない
- 他人に見られる分には恥ずかしくない
- 誰にも迷惑はかけていない
と言ったものが見受けられました。それはそれで言い分としては理解できます。
が、「身だしなみ」であるならばそれらは単なる言い訳に過ぎない気がします。
日本の文化
これは、日本の文化であって日本の伝統でもある
奥ゆかしさ
みたいなものの一つではないか?と思いますね。特に女性はそれを強く求められるものです。
そんなの勝手だ
と言う意見もごもっともですが、日本人である以上は仕方ないことなのかもしれません。
そして、その日本の文化の中で電車内で化粧をする人を見た場合に思うことは
- 他人の目もはばからずにみっともない
- 親の躾がなってない人(親の顔が見てみたい)
- 寝坊でもして時間がなかった(自己管理の出来ない人)
- 厚顔無恥な人
と言うことになるでしょう。自分だけならいざ知らず、自分の行動で自分の身内(親)が悪く言われてしまうのです。まぁ、直接言われるわけでもないですから、気にしなければそれでいい訳ですが、電車に同乗している大多数の方はそんな風に思うのではないでしょうか?
個人の勝手と言うのも言い分としてはわかりますが、ここはひとつ
本来はどうあるべきなのか?
と言う視点で物事を見れば、おのずと答えは導かれる気がしますが・・・。
若い方が多いと言うのは、個人主義とか躾とか、そう言った時代が作った風潮も関連している気がします。東京オリンピックもあることですし、大和撫子と言う観点から今一度その行動を問い直してみる必要もあるのかもしれませんね。
コメント
まさに今日、同じようなことが僕の目の前に起こっていて僕自身も不快な思いをしておりました。そして、何故不快な思いをするのだろう?と思ったところでこのページを見つけました。
あなたの主張には大方において賛同する部分があります。ただ、結論の付け方に少し疑問を覚えました。それは、以下にあげる理由です。
僕自身は、日本人の奥ゆかしさなるものに何も真実はないと思っています。僕は幼少より各地で転勤を繰り返す中で、どこへ行っても高潔で、「奥ゆかしい」人々はいて、それの対極に、恥知らずで、無知な人々はいるからです(日本でも、ですよ)。それは海外での生活の中でも同じでした。
少し話題が逸れました。僕が言いたいのは、電車内での化粧を人々が不快に感じるのは、それが「日本人的な感性」の奥ゆかしさに反していたり、個人主義の膨張を感じたりする訳ではなくて、それが、装いという営為であり他者の視線を意識するものでもあるのに関わらずその過程を見せつけられることで自分が蔑ろにされていると感じるからではないでしょうか、ということです。電車内で化粧する女性たちは、必ず「それを見せる」相手がいるはずです。恋人であれ、同僚や上司であれ、です。そうした人に見せるはずの化粧を、電車内での人々に見せない、それどころか、「見せる」相手には決して見せないはずの化粧の段階を見せられている。そこに違和感や嫌悪を感じると思うのです。
また、そうした「自分が蔑ろにされている」という感覚は国に関わらず凡そ普遍的で、ユニバーサルな感覚です。「大和撫子として生を受けたならば、電車内で化粧はすべきでない、奥ゆかしさに反するからである」というのでは、僕にはこじつけのように聞こえます。本質は異なるのです。
拙文失礼致しました。この文をお読みになられたなら、非常に嬉しく思います。
by シタラ 2017年6月8日 8:18 PM
シタラ様
コメントありがとうございます。また、返信が遅れまして申し訳ございません。
なるほどです。変身するプロセスを見せつけられる(しかも、本来見せるべき相手には決して見せないはずのプロセスを半ば強制的に見せられている)ことに対する違和感や嫌悪感ですね。
確かに、それが本当の意味での”本音”かもしれません。
私の結論はある意味「美しく仕上げすぎた」のかもしれません。
ご指摘ありがとうございました。
by pikaichi716 2017年6月16日 9:02 AM